本稿の目的は、「死後の生命」や「生まれ変わり」に関する近年の科学的研究の成果を整理することにより、その内容が我々にとって「生きがいの源泉」となる事実を示すことであった。とりわけ、高度経済成長が終焉し、物質文明の価値と「豊かさ」の意味が問い直されている現在、我々日本人は、京都大学助教授のカール・ベッカー博士が鳴らす次のような警鐘を、謙虚に受けとめる必要があるだろう。
「日本は不思議な国です。明治以前には『霊』の存在を当然のこととしてきたのに、今では過去の欧米に追従して、この種の現象を真面目に考えようとしない風潮が、特に科学者の間に強くあります。欧米諸国はこの方面で、ある意味ではむしろ昔の日本に近付きつつあるのに、逆に日本は、過去の欧米の水準から一歩も進もうとしないのは、まことに皮肉というほかありません。」
すでに多くの言葉を費やしたが、本稿で紹介した科学的知識は、「死後の生命」や「生まれ変わり」に関する数多くの研究の、ほんの一端にすぎない。興味を抱かれた方は、ぜひとも原典に目を通していただきたい。先入観を捨てて一読いただければ、彼らの真摯な研究姿勢に心を打たれ、その研究成果が持つ意味の重大さに震撼されることだろう。
研究者たちの言葉の数々は、我々に、生きることの真の意味を問いかけている。我々にとって、「死」は決して恐ろしいものではなく、むしろこの世での修行を終えて帰郷する、安らぎの瞬間である。愛する人々との死別は、決して永遠の別れなどではなく、あの世で再会を喜び合うまでのほんの少しの間、直接の会話ができなくなるにすぎない。しかも、この世で修行を続ける我々を取り囲むように、先立った家族や友人達の魂が、いつも温かく見守り話しかけてくれているし、我々からの呼びかけも必ず彼らに届いている。我々は、たとえ荒野の真ん中にひとりたたずんでいようとも、決して孤独ではない。
そして我々は、この世という修行の場に繰り返し来訪しては、愛すること、許すこと、感謝することの大切さを学ぶ。人生とは、いわば、生まれる前に自分で作成した問題集のようなものである。それぞれの問題を、解くことができてもできなくても、正解は、問題集を終えるまで見てはならない。人生という問題集を最後までやり遂げた時、初めて我々は正解と照らし合わせ、自分の成長度を自己評価することができる。そしてまた、解けなかった問題を解くために、あるいは一段と難しい問題を解くために、自分自身で新たな問題集を編み、それを携えて、この世という修行の場を再訪する。研究者たちの言葉は、あたかも「生きがい」を見失って闇に沈む現代人の心に、待ちわびていた夜明けをもたらしてくれるかのようである。
本稿の執筆は、経営学者としての私にとって、決して得になる行為ではない。おそらく、悪意を伴う批判ばかりでなく、善意による注告も、私を待ち受けていることだろう。しかし、私にとっては、目先の損得勘定や、経営学者としての序列など、もはや眼中にない。本稿で整理した科学的知識を、人々に広く知らしめることの方が、撮るに足らない私の個人的評価よりも、はるかに重要で価値の高いものだと確信しているためである。
本稿が、ひとりでも多くの悩める方々の目に触れ、それぞれの人生にわずかでも勇気と希望を与えることができるよう、私は心から祈っている。